ゴールトライター問題に障碍が絡んできているから厄介になっているだけの件。

耳が聞こえないのに作曲→すげー

耳が聞こえないので代作でした→騙された!

つーか耳聞こえてるかも→怒り



この流れ、よくわからんのよね。

耳が聞こえてたならむしろ良かったじゃないですか。



障碍のある創作者がもてはやされるのは、世間が障碍に対する特別意識を持っているから。その特別意識が悪用されて怒るのは滑稽なんじゃないかと思う。



障碍者は弱い存在だから守られる存在なのに障碍じゃない人が障碍を騙るのはけしからん…ってそりゃけしからんけどその前提が間違っているってことに多くの人が気付かないんだよね。

障碍者は別に弱くないし、頭良い人もいればバカもいて、いいヤツもいれば嫌なヤツもいる。単なる人間です。



不可逆的な障碍がすべてではないし、技術の進歩や本人の快復力で障碍が軽くなることだってないわけじゃないのよ。それを認められなければ如何なる医学も進歩しないしHALのようなハンディキャップサポートシステムも開発されない。

単なる偏見を押しつけて「現代のベートーベン」とか勝手に盛り上がってたのはどこの誰なのかって話です。ベートーベンが実際にどういう作曲してたかなんてホントにわかってんのかしら。バカバカしい。



エンタメも産業なんだから代作は当然だし、そういう制度がなければ新人が育つこともないよ。下請けや外注も認められなくなる。名前を出してないのがずるいとかいう話もあるけど、本当の名前を出すか出さないかなんて、問題になることすらおかしくない? 

歌舞伎役者やタカラジェンヌはどうなるわけ?

有名な人の名前で世に出すことによる「プレッシャー」がその代作者を育てるってこともあるわけで、それは代作者の個性を守ると同時に彼らの未来を守る方法なんだよ。長い間自分の「種」ではないものを育て続けることによって、自分独自の「種」が開花する可能性もあるのです。大事に大事に育てられた「苗」のようにね。いきなり風雨激しい畑に移されたら枯れちゃうかも知れない、そういう懸念もあって、代作という仕組みがあるのです。

まして音楽なんて言うものは流行り廃りの移ろいが早くて、才能ある人以外にはプロになれない。生き馬の目を抜く世界で頭一つ飛び出すために「障碍」を売りにした人が出てきても当たり前で、そんなもんグラビアの世界で10センチ以上バストサイズをサバ読んでる子たちと同じでしょ。そんな嘘つきの作品なんか買いたくないというのは結構なことだが、事実嘘つきの作品に群がっていたのが、世間だったわけじゃないですか。



これってつまり「どういう属性の人が作ったか(演じているか)」しか見ていなくて、作品は何でも良いってことでしょ?

作品の善し悪しを論じるならわかるけど「障碍のある作曲家が作ったからすごい」と「バスト90センチの11歳がすごい」って根は一緒だよね。

後者はまだ自分が「ロリ巨乳が好き」だと自覚しているから、彼女がバストをサバ読んでいたりロリじゃなくなったときには「卒業」と称して新しい人材を見つけに行きますが、前者はどうでしょうね? 自分が「障碍あるのに頑張っている人が好き」だという属性だと自覚してますかね?



そもそも、音は耳がなければ作れないという前提も疑うべきなんですよ。

目が見えない人の視覚野に電極を差してみたらなにか「見えた」と言う事例もあるわけで、空気の振動である音を耳ではない別の方法で感じる手段があり、そのイメージを別の誰かが具現化するとしたらそれは「作曲」ではないのかな、とか。



見えるとか聞こえるとか、それは脳の知覚現象なんだからさ。目も耳も入口に過ぎなくて、信号がどのように処理されてどのように変換されるのか考察もなしに、簡単に「創作とはこういうものだ」とか言って欲しくないんだよねぼくは。



楽譜が読めないとかなんとか言われてるけど、雅楽の楽譜とか意味わからんし、そういう独自の方法論で西洋音楽を表現していたのなら別にそれは許されても良いのではないかとも思う。彼の人間性に問題があるとしても、それは障碍とは関係ないし。



要するに「モノが良ければなんだっていいじゃん」ってことですよね。



命に関わるわけじゃないんだし。

食品偽装みたいな騒ぎになるのはなんか怖いわ。






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