Atomos Shogunファーストインプレッション


開梱してみると専用のケースに本体と周辺機器がまるっと収まっている仕様。まるでお江戸の将軍様がカゴに揺られているかの如く。


上下二段に分かれていて、上段に将軍様が鎮座ましまし、下段にアダプター類が警護を固めておられます。


将軍様のお顔もといディスプレイはテッカテカで、指紋がバッチリ載りやすいのは穢れを知らぬ証拠。ボタン類は小さいので、指が大きい人は扱いづらいかも。将軍様は繊細なのです。


電源ボタンを押して数秒。手を離すと赤いランプが灯り、将軍様のお目覚めです。おはようございます。


側面にHDMI、背面にSDIの入出力端子があって、BMCCのSDI出力も画像のとおり。1080P/23.98を認識しております。さすが将軍様、お見事です。


さきほどのケースの中に音声アダプターも入っていて、キャノン端子を接続可能…だけど、将軍様のスマートさを生かすためにはあまりケーブルを付け足さない方が良いように思うのはぼくだけかしら。


BMCCで使用していたインテルのSSD(550シリーズ)は公式情報のとおり、フォーマット完了で使用可能。240GBで2〜3時間ほどの収録って感じですかね。


BMCCはスルーアウトがなさげなので、スクリーン情報がまんま録画されてしまうから、BMCCメニュー画面から消す必要があるのは、まあ仕方ない。


右下の水色のボタンを押すと、RGB情報などが見られるのも嬉しい。赤いボタンを押すと、ゼブラとかピーキングとか設定できます。


上下に1/4インチの三脚穴があるのでどこぞの好きな場所にでも設置してくれい! という将軍様の思し召し。我ら庶民はしかと心得、活用致しましょう。






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オリジナル小説、発売になりました。

二子玉川ライズショッピングモールにて。 http://bit.ly/1vX71nx





二子玉川ライズショッピングモールにて。 http://bit.ly/1vX71nx
RICOHから発売になったTHETA m15にて撮影しました。
ワンタッチで簡単に360度全天球パノラマ画像と動画が撮れます。




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DJI Phantom2 Vision plus のジンバル異常と修理の仕方。あとH3-3Dに付け替えることが可能であることが判明しました。

備忘録。

かなりニッチな投稿ですが、わかる人には「おおっ」って感じの内容です。

10/16にDJI phantom2 vision+(マルチコプター: 以後P2V+)のジンバル異常が発生。

症状は、モーターから激しく異音がし、永遠に水平を取ろうともがいている。一分もすると発熱し、素手で触れなくなるというものです。


なぜこうなったかというと、P2V+のカメラはいまいちしょぼいので、別のジンバルH3-3Dに付け替え、Goproにて撮影できないかという実験を行った際、ジンバル内部を分解し、回路を見比べていたときに、なにかミスをおかしたのでしょう。

全て元通りにして付け直したはずが、異常発生ということで、基盤がやられたとばかり思っていましたが、色々と調べてみると、海外ユーザーで同じような症状に苦しむ仲間が多く、解決策を見つけた人たちがいました。

墜落等でジンバルが損傷した際、同じ症状を経験している方が多いようです。

下記リンクを参照。

http://bit.ly/1qIUPPG

http://bit.ly/1qIUQTW

なんとも簡単な話で、ジンバルのモーターを止めている軸があるのですが、その軸は半月状になっており、平らな面があります。その平面の向きを2軸目はカメラの水平と同じくすれば直ると言うことでした。

ぼくの場合は、3軸目を分解していたので、そこの軸を直せばいいのだなと思いつき、いろいろ試したところ、カメラに対して垂直にするというそれだけのことで異常は治りました。

H3-3Dの異常動作も同じ処理で治ります。

P2V+のジンバルもH3-3DもDJI製品なので、基本設計は同じで、回路も似たような物でした。

これを修理に出すと、検査費用だけで18900円取られますのでバカバカしい話です。

ちなみに、DJI正規代理店の某店舗はP2V+にH3-3Dは付けられませんと言っていましたが、普通に付けられますし、チルト操作もできます。

P2V+は操作系が920Mhzなので、2.4Ghz帯と干渉せず、Goproのアプリを使うことも可能。もちろん2.4Ghzの映像伝送で高品質FPVも行けるはずです。

そして、P2V+のジンバルの上部分だけを残して、下はH3-3Dにはめ替えてしまえば…おそらくP2V+のFPV機能をGoproで行うことが可能だと思います。


[追記]
P2V+にH3-3Dを付け替える場合は、P2V+に付いている8ピンケーブルを引っ張り出す細工がまず必要ですので自己責任で行ってください。

P2V+のジンバルには、機体から3本のケーブルが出ています。4ピンと6ピンと8ピン(2本抜けている)です。
それを全部外して、ジンバル本体を外します。
すると3本のケーブルは機体の穴(phantom2のH3-3d用の穴と同じです)から少しだけ出ている状態になっているはずです。
その状態で引っ張っても、穴の内側でプラスチック板と糊付けによりロックされているため、動きません。
しかしロックしているプラスチックをマイナスドライバーなどで破壊すると、ケーブルが自由になります。

自由になった8ピンケーブルを一度機体内側に戻し、繋がっている基盤を確認してください。
その基盤はP2V+のコンニャク防止板です(セキドにて売っています)が、その一番近くにあるスキッド穴を開けてください。
おそらく現状は、アンテナが出ているだけで、ゴム状の白い栓で塞がっているはずです。
その栓を外して8ピンケーブルを穴から出すと、H3-3Dの背面にある8ピン端子に接続できます。

あとはP2にH3-3Dを付けるのと同じ要領でねじ止めすればOKです。



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360°パノラマ機材のお話。QBIC Panorama買ったよ。

360°パノラマっつーと、一般的にはGopro6台〜7台で撮影してスティッチという重ね合わせる作業を行うけれど、4台で行けるぜ、という意欲的なシステムが発売になったのです。

それがELMO QBiC Panorama。




うちでも導入してみた。

スティッチはKolor社のAutopano gigaとAutopano videoにてテスト。



で、静止画のパノラマは特に何もしなくても簡単にスティッチできて、360°パノラマができた。ただしカメラ四台なので、ギガピクセルのような感動はない。

三脚だと脚が映り込んで、それを消すためにはもう一枚画像が必要になり(それをやるとまったくこのシステムの意味がない)面倒なので吊すか、なるべく一脚に近い状態にして固定し、iphoneからシャッターを押すのがベスト。

一方動画の方は…ある程度までは追い込めるが、どうしてもずれる。

Kolor社wikiにあるPanoramaファイルをダウンロードして使ってみるが、合わない。

それともKolor社以外のソフトを使えば上手く行くのか…?

答えはまだわからない。

四つのカメラを時計回りで組むか反時計回りで組むかでも違いが出るような気もするし、四台のシステムということは、リグに組む順番が決まっているのではないかという気すらする。だけどそうなったら、一台故障したときどうするのってことになっちゃうし、考えすぎな気もするが…とにかくテストするしかない。

185°のワイドレンズなので、狭い室内で360°パノラマ写真を作るにはとりあえず使えます。

その他雑感としては…

Wifiでスマホからカメラに接続して様々な設定を行うのですが、四台あるのでこれがなかなか手間。WifiでもUSBでもいいので、四台まとめてPCに繋いで、デスクトップアプリで一括して設定とライブビューができるといいのになと思う。当然、同時に録画開始ボタンとかあれば最高ですけどね。






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「黒子のバスケ」脅迫事件 被告人の最終意見陳述全文公開を読んだ所感。それもこれも全部ひっくるめてあんたが自分勝手だからだ。

「黒子のバスケ」脅迫事件 被告人の最終意見陳述全文公開を読んだ所感。それもこれも全部ひっくるめてあんたが自分勝手だからだ。:

昨日、ワークショップの打ち上げで、「無敵の人」という言葉が出てきて、失うものがない人間による自爆テロ的犯罪は、今後も増えて行くだろうから、どうすれば防げるのか、などという会話があった。


犯罪には、その犯罪を行わなければ自らのアイデンティティが崩壊してしまうがゆえに犯行に及ぶ、ある種の「型」がある。

それは、代々医者の家系が、暗黙のうちに子どもに「医大へ行き、医者になる」ことを強制しているのと同じように、「無敵」に代表されるような孤立した人間は、犯罪を行う以外に生きている証拠がない、という場合がある。



こうした犯罪は、ほとんどの場合、世間を賑わす。

世間が賑わえば、孤立ではなくなるので、こうした犯罪の抑止には徹底的な無関心以外にないのだが、知りたがりの大衆に向け、これら「不可解な事件」はあらゆる報道から逃れる術を持たない。


「黒子のバスケ脅迫事件」の最終意見陳述だが、全部読んだ。


いままで溜まっていた鬱憤を晴らすかのような饒舌ぶりは、腹立たしいことに、満足の現れだろう。

彼には37年の間に、同様の自己分析をするチャンスはいくらでもあった。それをしなかった、できなかったのは、彼が彼の言う「浮遊霊」や「埒外の民」だったからかもしれないが、刑務所に入ったとたん目覚めたのは、彼が犯罪によって「世間に自己を承認させるのに成功」したと感じているからに他ならないだろう。


印象的なのは、彼は自分を「誰も理解できるはずがない」と思っているようだが、その反面、理解して欲しいオーラがハンパないことだ。


実は彼の思考は、彼が自分で思っているよりは遥かに、多くの人が理解できる「普通の思考」なのだが、他人に興味がない彼にはそれがわからない。


それは彼の言う「認知の歪み」によるものなのかもしれないが、鼻につくのは再三にわたり出てくる、「普通の人」という言葉。


自分を特別視することで心のバランスをとること自体は否定するものではないが、彼がこれまで自己を客観視できなかったのは、要するに自分自身のことを、他人より有能だと思っている(現在進行形)ことが影響しているように思えた。


自分が理解されない原因を、「周囲が無能だから」ということにし、無意識的にか意識的にか、周囲の人間の言うことややることを不当に評価してきたのではないか。


どうせわかってくれないから、今までは有能さを証明する意欲も必要もなかったが、事件で多少社会との接点ができた今、わかってくれるかもしれないという一縷の望みが出てきた。だからこそ、饒舌になっているようにも思える。


しかし彼の陳述は幼稚だ。


自分のことを理解してもらえないという不満や葛藤は、彼のような「特殊」な人の特権ではなく、誰にでもあることだ。

むしろ理解してもらえるわけがない。

自分でも自分のことを完全に把握できないのに。

彼が本当に「自分のことを理解できる人はいない」と考えているのなら、長々と陳述することはあり得ない。


つまり単なるかまってくんだが、かまって欲しい割には大げさに参考文献を並べて、社会体制やマスコミを批判する。

しかしマスコミは真意と違うことを報道する、と苦言を呈すその姿勢は、それこそ彼が今まで求め得なかった「社会との糸」に他ならないのに、彼は終始そのことを自覚せず、饒舌に批判を繰り返すだけだ。


彼は自分で思っている以上に社会とのつながりがあったが、彼自身はそれを認識しておらず、逮捕されて初めて気づいたなどという。気づかなかったのは認知の歪みだと言うのだが、それは自己肯定的すぎるだろう。そうじゃない。彼は自分勝手だっただけだ。


彼は言う。

努力をすれば報われるとか夢は必ず叶うとか言うけれど、自分は努力する方法すら知らないし、努力の先の果実も見えないし、夢なんて持ちようもなかった、と。


しかし同時にこうも言う。

自分は地元一の進学校に行ったと。そこに行かなければ両親に殺されると思ったからガマンして勉強したと。ガマンは努力ではない、と。殺人鬼に追われた人が逃げるのを努力と言いますか? と。

詭弁だ。

進学校に行くことが彼にとって意味があったからガマンしていただけで、殺されると思ったなら、文字通り逃げれば良かった。しかし家出する勇気もなく、やはりどこかで両親の承認を得ようとしていたという言い方もできるし、もっと言えば、努力しなくても進学校に行けたのだ、と暗に自慢している自己顕示欲に無自覚なのは、もう、どうしようもない。


確かに彼は、両親から愛されていなかったかもしれない。

学校でもいじめを受けて、認知が歪んで生きてきたのかもしれない。

そういう「社会から外れた人」を救う機能としてのオタク化やネトウヨ化といった方法も自分には合わなかった、と彼は言うが、EXOにハマった彼はまぎれもなくオタク気質だし、他人への攻撃性もネトウヨの素質十分だ。そこに乗っからなかったのは、単に大勢と同じ道を歩くのは嫌だったからだと思えてならないし、結果としてEXOにハマり、中韓ではなく日本人が嫌いだとか言ってしまうのも、自分は他人とは違う、システムになんか乗ってたまるかという意識が垣間見えて仕方がない。


彼の抱えている不満や不安や多くの人が抱えているものだし、彼自身の文章力も多くの人が持っているものだ。

彼は特別でもなければ、頭のいい人間というわけでもなく、冒頭に書いたような、その犯罪を行わなければ自らのアイデンティティが崩壊してしまうがゆえに犯行に及ぶ、ある種の「型」にはまっただけの、いい歳して就活生みたいな自己分析をして陶酔しちゃった幼稚な人、というのがぼくの感想。


文章というものは、本人が意図せずとも、本性が現れる。







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都議会のヤジ問題に関して、世田谷区の有権者として思うことはこんなことです。

ひますぎ。ヤジ飛ばした人特定して、晩産化になにか進展があるの?


そもそも、自分で「涙目になった」とか「ヤジを受けた」とか書く方が議員としてどうかしてないか、と思う。代表してやってんだからさ。結果で語るのが政治家の仕事なんじゃないか?

こういう問題を燃え上がらせて存在感をアピールするのは、ちょっといやらしいと思っちゃいますね。


なぜこんなこと言うかと言えば、この人はぼくの住んでいる世田谷区選出なんですよ。投票したかどうかは(ぼくにも政治問題があるので)あえて言いませんが、当選した以上は、しっかりしろよって思うわけです。

それに、元グラドルで「恋のから騒ぎ」にも出てた人がですよ?

あのさんまさんのツッコミ受けてた人がですよ?


都議会のヤジごときでシュンとなるなんて信じられないっすわ。




さらに言うと、便乗して「自分は良識派デス」みたいな顔してる政治家もうさん臭いと思いますね。

本当に良識派だったら、都議会の問題を公にせず秘密裏に処理して、議会の品位は保とうとするはずですよ。

何でもかんでも世間に公表して信を問うみたいなやりかたは、幼稚。結局自分でなんとかできないから、世論を借りているわけだから。


思うに、政治問題は貸し借りの連続なわけです。


問題が起きたらそこに政治的チャンスが眠っている。


解決する代わりに何か見返りを求めるものです。


この問題だって、水面下ではそうなっているに決まっています。でなければ、こんなしょうもない問題がここまで盛り上がるわけがない。ヤジを飛ばした人を特定する動きだって「誰かが仕掛けて」いるんじゃないかと邪推しても全然変じゃないですよ。


塩村議員はこれで存在をアピールして「問題をうやむやにしない人」ってポジションを狙えるし、女性蔑視や晩婚・晩産化に取り組む議員として、同じ政治家仲間の中でも一歩抜きん出たでしょうから、今後講演会や演説の際に有利になりますね。


一方、ヤジを飛ばした人を守った人々は本人やその派閥から感謝されて何か見返りがある、のかもしれませんね。誰がヤジを飛ばしたのかなんて、わからないわけがないんだから。わからないとか、調べようがないなんて言っているのは、すでにそれが利権と化しているからでしょう。


となると、誰が割を食うのかって、それは都民ですわ。

こんな人たちの利権争いに巻き込まれないようにした方が賢明ですよ。


一般の、市井の、善良な有権者が、この発言に嫌悪を覚え、異議を唱えるのは大変結構です。しかしそれを煽るのが、当の本人だったり、近い場所にいる支援者だったりした場合には、注意が必要です。そしてその煽りに呼応してマスコミが騒ぎだしたときには、炎上マーケティングを疑った方がいいと思います。


塩村議員は美人だし、マスコミ受けもいいでしょうが、善良な有権者が期待しているほどには、当の本人たちは善良でもなく真摯でもないと思います。


どうせメディアに露出するなら、ヤジではなく政策であるべきです。今後も塩村議員がこういうメディア戦略を続けるのならば、ぼくの中では次はないですね。






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子どもに「考える力」を養わせるにはどうしたらいいかと尋ねる親がいるが、まずその質問を改めないと意味がないことを誰か教えてあげた方が良い。 とはいえ、なんて答えるべきだろうか? 質問の本意は「どういう育て...

子どもに「考える力」を養わせるにはどうしたらいいかと尋ねる親がいるが、まずその質問を改めないと意味がないことを誰か教えてあげた方が良い。




とはいえ、なんて答えるべきだろうか?




質問の本意は「どういう育て方をすれば考える力が身につくのか」ということだと思うが、そもそも育て方に多くの種類はない。子どもは、親の仕事や性格により、おおむね二つの生き方を選択するしかなく、それを拒否することは出来ないのだから。


一つめは親により「正しい道」へ行くための道筋を与えられるケース。

子どもはその道の中では自由な選択が許されるが、当然その道の範囲内でしか「思考」せず、その中でのみ通用する生き方を獲得する。

例えば医者になる道が正しいという家庭であれば、とりあえず医者の中で何科を選ぶかは自由だ。

このケースの場合、そのまま「正しい道」へ行ければ、その道は安穏としているかもしれないが、道を外れざるを得ない場合──失敗や事故により道が阻まれた場合には、途端に思考と人生が停止してしまう。


二つめは、「なんでもさせてあげるから好きなこと、向いているものを自分で選びなさい」と、習い事や塾、趣味、旅行など多くのことを経験させて、極力「道」を示さずに成長させるケース。

多種多様な経験を積むことにより、どのような場面でもそれなりにそつなくこなし、器用に立ち回る生き方を獲得する。

しかし人によっては、飽きっぽく何事も長続きしなかったり、極めて不安定な仕事を選んで「自由なようで不自由な人生」を生きる場合もある。

例えば映画なんてその最たるものだ。役者も監督も脚本家も、売れているのはほんの一部(それも才能は関係ない)。


もちろん、そのどちらの生き方でも、大成功する人はいるわけで、どちらが良いわけでも悪いわけでもない。

おそらく、どんな恵まれた家庭に生まれた子どもでも、人生がずっと右肩上がりなんてことはないはずで、その人なりのどん底を経験したり、賭けに出る場面を通過していることだろう。学校でも職場でも、選択と決定に直面しているはずだ。


「考える力」はそのときに発揮される。


決定しなければいけないことが、いわゆる「段取り」や「要領」に類することであれば、職能を積み重ねれば誰でも対処できる。単純に経験値と技術の問題だ。


そうではなく、答えの出ない問題にどう対処するかが、冒頭の「考える力」の真骨頂だ。

その人がどういう育てられ方をしていたにせよ、そうした瞬間は、一人の個人としての即断が求められる。


心理学的に言えばこの瞬間は「葛藤」している。

好きなことと好きなことのどちらかを選ばねばならぬとき。

どちらも嫌いだけれどもどちらかを選ばねばならぬとき。

好きだけれども損をして嫌いだけれども得をするとき。


医者として何科を選ぶべきなのか。

医者を諦めざるを得ないとき、これからどうしたら良いのか。

役者として家族を作らず生きていくのか。

実家に帰って家業を継ぐのかまだ東京で踏ん張っていくのか。


こうした葛藤において即断するために必要なのは「考える指針」で、その「指針」はその人の思考のほとんどに影響を与えている。

そして「指針」がないと、どうしたら良いか悩んでしまい、答えを先延ばしにしたままずるずると生きていくことになる。


その「指針」が社会的に正しいかどうかは関係ないし、その都度変わったって良い。

ただ単に、それがあれば人は「考える」ことができ、答えのない問題にも答えを出すことが出来る。


考える力を養おうと思うと大変だが、「指針」を集めるだけならそう難しくはない。


「あ、こういう状況、確か黒澤明も陥っていたな。あの人はこういうときどうしたんだっけ」


そう思い当たるだけでも、思考の無限ループは終わる。

親が「指針」を持っていれば子どもに伝えることが出来るし、実際経営者の二代目などはそうだろう。けれどもその「指針」がすべてになれば、間違った判断をすることもあるから、結局優れた経営者は常に読書を怠らない。


そう、「指針」は読書することでいくらでも集められる。


つまらない本も、別の本と掛け合わせることで、何か新しい考え方に生まれ変わるかも知れない。


読書は人生の素材集めなんだよね。


追記:


ちなみに論理的思考というのは、「なぜ」には答えてくれるけれども「どうしたらいいか」には答えてくれないんですよね。理由がわかったってやりたくない、けれどやらねばならない、という状況はあるわけで、その「葛藤する心」を納得させるために役に立つのが様々な「指針」なのではないかな〜ということです。






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ノシリスっていう知育玩具知ってました? 噛めて捻れてくるりんぱ。 www.nocilis.jp





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ゴールトライター問題に障碍が絡んできているから厄介になっているだけの件。

耳が聞こえないのに作曲→すげー

耳が聞こえないので代作でした→騙された!

つーか耳聞こえてるかも→怒り



この流れ、よくわからんのよね。

耳が聞こえてたならむしろ良かったじゃないですか。



障碍のある創作者がもてはやされるのは、世間が障碍に対する特別意識を持っているから。その特別意識が悪用されて怒るのは滑稽なんじゃないかと思う。



障碍者は弱い存在だから守られる存在なのに障碍じゃない人が障碍を騙るのはけしからん…ってそりゃけしからんけどその前提が間違っているってことに多くの人が気付かないんだよね。

障碍者は別に弱くないし、頭良い人もいればバカもいて、いいヤツもいれば嫌なヤツもいる。単なる人間です。



不可逆的な障碍がすべてではないし、技術の進歩や本人の快復力で障碍が軽くなることだってないわけじゃないのよ。それを認められなければ如何なる医学も進歩しないしHALのようなハンディキャップサポートシステムも開発されない。

単なる偏見を押しつけて「現代のベートーベン」とか勝手に盛り上がってたのはどこの誰なのかって話です。ベートーベンが実際にどういう作曲してたかなんてホントにわかってんのかしら。バカバカしい。



エンタメも産業なんだから代作は当然だし、そういう制度がなければ新人が育つこともないよ。下請けや外注も認められなくなる。名前を出してないのがずるいとかいう話もあるけど、本当の名前を出すか出さないかなんて、問題になることすらおかしくない? 

歌舞伎役者やタカラジェンヌはどうなるわけ?

有名な人の名前で世に出すことによる「プレッシャー」がその代作者を育てるってこともあるわけで、それは代作者の個性を守ると同時に彼らの未来を守る方法なんだよ。長い間自分の「種」ではないものを育て続けることによって、自分独自の「種」が開花する可能性もあるのです。大事に大事に育てられた「苗」のようにね。いきなり風雨激しい畑に移されたら枯れちゃうかも知れない、そういう懸念もあって、代作という仕組みがあるのです。

まして音楽なんて言うものは流行り廃りの移ろいが早くて、才能ある人以外にはプロになれない。生き馬の目を抜く世界で頭一つ飛び出すために「障碍」を売りにした人が出てきても当たり前で、そんなもんグラビアの世界で10センチ以上バストサイズをサバ読んでる子たちと同じでしょ。そんな嘘つきの作品なんか買いたくないというのは結構なことだが、事実嘘つきの作品に群がっていたのが、世間だったわけじゃないですか。



これってつまり「どういう属性の人が作ったか(演じているか)」しか見ていなくて、作品は何でも良いってことでしょ?

作品の善し悪しを論じるならわかるけど「障碍のある作曲家が作ったからすごい」と「バスト90センチの11歳がすごい」って根は一緒だよね。

後者はまだ自分が「ロリ巨乳が好き」だと自覚しているから、彼女がバストをサバ読んでいたりロリじゃなくなったときには「卒業」と称して新しい人材を見つけに行きますが、前者はどうでしょうね? 自分が「障碍あるのに頑張っている人が好き」だという属性だと自覚してますかね?



そもそも、音は耳がなければ作れないという前提も疑うべきなんですよ。

目が見えない人の視覚野に電極を差してみたらなにか「見えた」と言う事例もあるわけで、空気の振動である音を耳ではない別の方法で感じる手段があり、そのイメージを別の誰かが具現化するとしたらそれは「作曲」ではないのかな、とか。



見えるとか聞こえるとか、それは脳の知覚現象なんだからさ。目も耳も入口に過ぎなくて、信号がどのように処理されてどのように変換されるのか考察もなしに、簡単に「創作とはこういうものだ」とか言って欲しくないんだよねぼくは。



楽譜が読めないとかなんとか言われてるけど、雅楽の楽譜とか意味わからんし、そういう独自の方法論で西洋音楽を表現していたのなら別にそれは許されても良いのではないかとも思う。彼の人間性に問題があるとしても、それは障碍とは関係ないし。



要するに「モノが良ければなんだっていいじゃん」ってことですよね。



命に関わるわけじゃないんだし。

食品偽装みたいな騒ぎになるのはなんか怖いわ。






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