H23/07/27における児玉龍彦氏の国会参考人答弁の要約と、そこから思う科学の社会貢献

①今回の原発事故で問題とすべきは個々の放射線量ではなく総量だが、今に至るまで東電と政府は総量を発表していない。

②東大アイソトープセンターにおける計算では、広島型原発29.6個分の熱量であることがわかった。

③総量で見た場合問題となるのは粒子の拡散。これは線引きをして計算できるモノではないのに政府は計測努力を怠っている。

④専門が内部被曝である自分からするとプルトニウムを飲んで大丈夫と言うことはあり得ないし、○○msv/hなどという観測は全く意味がない。

⑤近年の研究では、チェルノブイリ地域のヨウ素汚染で甲状腺がんが発生したという統計的認識は承認されている。

⑥セシウムは膀胱に集まるが、チェルノブイリの研究では6ベクレル/Lという少量の汚染において遺伝子の変異(がん)が確認されている。これが恐ろしいのは福島で母乳から2〜13ベクレル/Lという検出があったことである。

⑦東大アイソトープセンターでは南相馬の除染に協力してきているが、これはすべて違法であるため対処を求める。

 

 

ぼくが思うのは、科学とはなんだろうということだ。

 

科学とは追試が可能であって、誰もがそうだと納得できるものであったはずだ。少なくともぼくはそう教えられてきたし、科学の徒には常にそう言われ続け、オカルトや占いや神秘を否定されてきたものだ。

だが、原発事故以降、この国の科学者の言うことは何が正しいのか判断しかねる。

専門家と称する人々が一方では大丈夫だと言い、一方では危険だと訴える。どちらもどちらを批判し、学術的知識の乏しい一般人はただ不安におびえるだけだ。


こんな堕落に比べたら、神様をあがめている方がよっぽど健全で、唯一無二の行動を取ることができるだろう。

この状況では、科学的な原子力知識の方がよっぽどオカルトで、信憑性が乏しい。

まったく幽霊のようなものだ。


それでも児玉氏の発言が多くの人の胸を打つのは、彼が時折声を詰まらせ、真剣に主張を繰り広げる姿勢にある。

知識がなければ、人を信じるしかない。

主張を信じられるかどうかは、発言者の人となり、態度、真摯さ、そういったものにかかってくる。


科学とは、この期に及んでなんだろうか。

もとい、科学の社会貢献とは、なんだろうか。

社会貢献のない学術活動など無価値であるとすれば、話のうまい武田邦彦氏が支持を得るのも当たり前の話だ。


ぼくは昨日、有能なキュレーターを味方につければ、それは自分の知識と同じであるというような旨を書いたが、情報の取捨選択は、蒐集者自身に求められる。

信じるも信じないもあなた次第、となれば、やはり科学とオカルトの境目など全く感じない。