インターネットの躾を考えている。

今からどうするべき考えていることがある。
それは子どもの「インターネット」教育について。

ぼくの世代は、インターネットの発展とともに大人になったけれど 、ぼくの子どもが青春を迎える頃にはその有り様もだいぶ変わって る。
SNS
とゲームの境目はなくなって、ゲーミフィケーションなるも のはさらに発展しているだろうし、ネットの窓口もタブレットどころか新しいモバイル機器が流行しているかも知れない。

しかしその本質──つまりネットコミュニケーションの根幹は、それほど大きく変わらないだろう。リテラシーやモラルは事象の積み重ねとともに社会常識となっていくかもしれないが、匿名性の強いコミュニティで人々がどう振る舞うかは現在とそう違わない筈だ。

それを学ぶには、失敗が一番なのだが、失敗する場をどれだけ用意すべきなのか、いまから考えなければならないと思っている。

例えばいま、ドラクエ10というゲームがある。これはオンラインゲームだが(オフラインでも出来るが)、コミュニケーションを取ることがかなり楽しい、と思える筈だ。しかし、ドラクエを遊ぶには月千円かかるので、二の足を踏んでいる親御さんも多い。

 

とはいえ、今後必ず台頭してくるコミュニケーション方式であるから、全く学ばせないのもどうなのだろうかと思う。個人的には、黙々とDSで遊んでいるよりはよっぽど良いと思う。

今後、望むと望まざるとに関わらず、ネットはますます日常を侵食していく。「その世界で交流できる人」と「その世界と隔絶している人」の格差、隔壁は人間の意思とは関係なく、大きくなるだろう。

 

すでに書いたように、コミュニケーションは失敗をしなければ覚えられない。失敗しながら思いやりや礼儀を覚えていく。ネットリテラシーの低い人というのは、ほぼ間違いなく、ネットで失敗したことがない人だ。そしてそれは幸運なだけで、幸福ではない。

 

子どものとき、誰しも「ありがとう」や「ごめんなさい」を躾けられたと思うが、ネットにおいてはその躾がなされているだろうか。躾をする場を避けている人の方が多くないだろうか。ゲームやネットのコミュニケーションには、確かに悪意も潜んでいるし、闇がないとは言えない。しかしそれは、現実世界でも同じことなのだから、「知らない人について行っちゃダメよ」という言葉と同じことをネットでも教えなければいけないはずだ。

安全なモノがすべてではないことも知って欲しい。

どれほど便利で役立つかを知って欲しいと思う一方、匿名性がいかに人々の悪意を浮き彫りにさせるかも知って欲しいのだ。嘘やデマ、差別があることも。 失敗は成功の母であり、学習が成功の父だ。 決定的な失敗をする前に、教育をするのが親のつとめとするならば、やはりネットやゲームからは逃れられないし避けるべきではないように思う。

 

そのときに考えるべきことは、住む場所や学校を選ぶのと同じく、どのネットツールを利用するか、ということになるのだが……

ネットの向こうには人間がいる。

そのことを自分で考え、自分で決め、自分で失敗を積み重ねる最適な方法を、ぼんやりと考える。