映画監督が映画を諦める時

音楽家・佐久間正英さんの「音楽家が音楽を諦める時」という記事と、漫画家・佐藤秀峰さんの「漫画家が漫画を諦める時」という二つの記事を読んで、創作の世界に押し寄せる予算圧縮の並はもはや止めようがないことを実感しています。

映画の世界もまったく似たようなものです。もしかすると、著作権というモノをガッツリ会社に握られている分、音楽や漫画よりも状況は酷いかもしれません。まあ、どっちが酷いかなどという夢のない話をしても仕方ないことなので、二つの記事に倣って、数字で考えてみたいと思います。

 

ぼくは映画監督・脚本家として確定申告をしている身ですが、映画監督は本来映画を監督する人物であり、脚本家とは全くの同一ではないです。しかし、現実問題として、脚本も書かなければやっていけないという事情もあり、ぼくが書き、ぼくが撮るというスタイルを、この10年で確立してきました。

ぼくを取り巻く10年の環境変化を思い出しつつ書いてみますと、デビュー作は単館公開のホラー映画で予算は400万円でした。90分程度の長編ですが、中身は5話から成る短編オムニバスで、この予算にしてはキャストも多く、場所も最低五カ所(5話なので)必要だけれども、撮影日数は5日というスケジュールでした。この作品のぼくのギャラは、監督、脚本、編集まとめて30万円くらいだったと記憶しています。これが高いか安いか、考えてみてください。

5日で30万なら良い商売だけれども、映画監督の仕事は、現場の日数だけでは計れません。

映画制作には大きく分けて三つの節目があり、一つ目はプリプロ(準備)、二つ目はプロダクション(制作)、三つ目がポスプロ(編集仕上げ)という区切りです。建築において、設計事務所が最初から最後まで全て監督管理するように、映画監督は、この三つの節目に全て参加し、芸術面での全面的な責任を負います。ひとことで言えば「クオリティ管理」ですね。

上の例では、プロダクション段階が5日と書きました。ではプリプロは何日でしょうか。プリプロとは、企画開発、シナリオ執筆、ロケハン、ミーティング各種、オーディション、リハーサルなどですから、とても一週間やそこらでできるものではありません。もう10年ほど前のことなのでうろおぼえですが、シナリオ完成までが直しも含めて2週間、ロケハンが2日、ミーティングが1週間程度、オーディションは3日、リハーサルが1日だったと思います。オーディションでは200名以上に会いました。ざっと見積もって約30日ですね。

ポスプロは何日でしょうか。編集も兼任しているので、仕上がるまでは毎日仕事です。編集ではまずざっくりと繋ぐ「粗編」をして、「ラッシュ」と呼ばれるプレビューを行い、修正点や音楽、効果音の打ち合わせをし、それぞれ持ち帰って数日後にまたラッシュをして、ということを繰り返します。これも約30日かかりました。これは決して多い日数ではありませんが、予算を考えればもっと詰めても(今思えば)いいところです。なにしろ初めての監督作品なので、勝手もわからず苦労した上、スタッフ全員が20代で技術的にも未熟で時間がかかったことも影響しています。

まあそんなわけで、65日を費やして収入が30万ですから、日雇い労働より酷いですよね。もちろんデビュー作ですし、夢を叶えるための布石ですし、若いから我慢できますよ。でもここはあえてもっと突っ込んでみます。

脚本を書くのには、何が必要でしょうか。10年前とは言え、原稿用紙に書くなんてのは有り得ませんでしたから、パソコンとソフトが必要です。ぼくが当時使っていたのはPowerMac G4でした。これはデビューする少し前に辞めたバイト先に転がっていたのを7万円で譲ってもらったものでした。ソフトは同梱していたモノを使いました。

打ち合わせに出かける交通費、コレは自腹です。電話関係、これも……自腹でしたね(本当は精算して然るべきなんでしょうけれど、そんな話は出なかったのでわかりませんでした)。

編集に使う機材は、先ほどのPowerMac G4にFinalCutPro3だったか4だったかを入れてました。かなり高いソフトだったんですよ、貧乏映画青年が買うには。10万円くらいだったかな。もちろん、モニターやDVデッキも必要ですから、買いそろえます(中古ですが)。すると、どうしたってプリプロからポスプロまでで20万くらいの先行経費がかかってるわけで減価償却とかそういうことは抜きにしてキャッシュだけで考えたら10万しか残りませんね。これで生きていけるでしょうか。もちろん無理です。

ではどうするかと言えば、バイトするか、別の作品を掛け持ちするか、どちらかです。ぼくはバイトはしないと決めていたので、かなりの数の掛け持ちをしました。作品にとって良いか悪いかは論じるまでもないですが、ぼくは生活するためにこの仕事をしたいと考えていたので、コレは修行だ、勉強だと自分に言い聞かせて、1か月半に一本の作品を撮っていました。

まあ、ぼくみたいな、何の賞レースにも参加していない、映画学校出でもなく、人脈もカネも実績もない馬の骨にとっては、この程度のスタートが当たり前でしょう。ぼくの場合は26歳の時に「水霊」というちょっと大きな映画を撮らせてもらえたのでまだマシな方だと思います。「水霊」があったから、同じ頃にテレビドラマの演出・脚本(「心霊探偵八雲」「のぞき屋」)もやれたわけで、「水霊」がなければ、未だに同じようなレベルの(貯蓄もままならないその日暮らしの)生活をしていたでしょう。

一般論で言うと、監督のギャラは総制作費の3%程度と言われています。1億円の制作費であれば300万円ということのようです。もちろん、キャリアやネームバリューなどで変わってきますので、若手はそう簡単ではないでしょう。半年で一本の作品を撮れたとして、二本でようやく600万円ですが、年に二本、1億円レベルの作品を撮れる監督なんてそうそういません。5億円レベルの作品を3年に一本撮れれば良いほうではないでしょうか。さて、この不況下、何人いるでしょうか……?

このように考えていくと、冒頭で書いたように脚本を書かなければ映画監督として生きる道は皆無です。監督と脚本をやって初めて、印税で3%ちょっとの報酬をゲットできます。DVDを5000円として、10万本売れてようやく、5億円の制作費における監督のギャラと同じ程度の報酬を貰えます。ここまでくれば、監督としてはかなり成功者です。

しかし、映画はヒットせず、DVDも売れなければ、次のオファーも遠のくし、印税も入らず、前の仕事で貰った報酬を大事に使って慎ましく暮らしていくしかないわけです。そして厳然たる事実として、毎年10億円以上の興収を叩き出す作品は、年に40本もないわけです。400本以上作られている日本映画の中で、10%しかヒットしていないとなれば、オファーは必然的にその10%の人に集中するので、映画監督はどんどん淘汰されていきます。やっと撮れた時には現場勘が戻ってなかったりして大失敗ということもあります。

ましてやいまや、有名大学を出て頭も良く社会性も高い「テレビ局員ディレクター」が大活躍です。テレビ局というバックがいるから、制作面での失敗を考えなくて良いし、広告効果も高いし、会社から給料をもらっているし、ということで、純粋な映画監督は太刀打ちできませんね。学歴も低い、頭は固い、社会性は乏しい、さらに貧乏という「クリエイター」と話したがる社会人なんてほとんどいないでしょう。それらをひっくるめても余りある才能を持っているのでなければ。しかし才能というものは、優秀なキュレイターが世間に紹介して初めて知れ渡るもので、残念ながら映画には有能なオタクはいるけれれども優秀なキュレイターというものはほとんど(全然とは言いませんよ!)いませんので、紹介される才能も限られてきてしまうのです。

さらに輪をかけて悲惨なのは、DVDがまったく売れません。レンタルもダメ、セールスもダメ。今あるコンテンツは今リリースしておかないと、来年は7割(3割)減とか5割減とか、それくらいのレベルで減収しているというのは、もうそこで印税を期待しても意味がないということです。

海外に売る、という声もありますね。でも海外で買ってくれる金額は、監督のギャラ程度かもっと低いですし、海外販売の契約が別になっていて、印税が貰えないケースもあります。

そんなところへ「著作権法改正」がドーンと来て、みなさん益々DVDとか買わなくなるわけですよね。残る手段は配信ですが、配信で売るためには広告戦略ですよ。それが出来る作品は自ずと大手のヒット作品ですから、若手が配信でガッポリするには超有名女優の初脱ぎとかじゃないと難しいですよね。でもそんな作品ばっかり撮れるわけじゃないし、一回きりじゃ意味ないです。

そんなわけで、「映画監督は食えない」という図式が囁かれるわけです。

本当に映画監督だけで食うのは至難の業です。クールジャパンとか言って「日本製コンテンツ」を海外に売り込もうと経産省が躍起になっていますが、これは、今ある資源を海外で再利用しようとしているだけのことです。将来傑作を生み出すかも知れない若手や、デビュー前の新人をこの業界につなぎ止めておく方策はほとんどしていません。申し訳程度のコンペや賞金では、なんの意味もないのです。

国が大変な時に、税金投入して映画の保護かよ! という意見もわかりますが、ハッキリ言って日本が海外と戦えるものってもう「作品」しかありません。そして今ある作品資源を売り払っていくだけでは、必ず破綻します。ヒットメーカーもいつかは枯渇し、死にますし、場合によってはどこかの国に招かれてこの国に一銭も落とさなくなる可能性も否定できませんよね。そのとき国内の才能が疲れ果てていれば、もう何も出来ません。

現実の話をしますと、今の日本映画界の実情としては、大規模作品(上の40作品になり得るような規模)か、1000万円以下の予算規模の作品の二極化が進んでいて、これはもう止まりません。

1000万円以下というか、ぼくがデビューした頃のような予算ですね。400万程度で長編を撮って、DVDも売れない、配信もダメ、映画館は単館のみ、では、回収して儲けるなんて神頼みです。神頼みで人の生活を支えられるわけがないので、どんどん創り手はジリ貧になって、別の作品を抱えながら忙しく疲れ果てるか、「映画監督とか言ってるけど本業はバイトでしょ」みたいな陰口をたたかれる身になるか、霞を食って生きていくか、生活保護をもらうか、そんなところしかないわけです。

 

映画は総合芸術ですから、家の中にジッとして良いものができるものではありません。いくら貧しくても、音楽を聴き、絵や写真を見、芝居を愉しみ、漫画や小説を読み、人に会って話をする。そういう経験の中で映画的な創造力を培い、蓄えていくので、これらの「経費」を日々のお金の中から捻出しなければなりません。映画会社はこういうものを一切出しませんし、ギャラにも反映されていませんし、コレは自営業者の研究開発費なので、どうにかするしかないわけですが、貧乏すぎると世界が狭まるので、作る世界観も狭まるし、独りよがりで共感しにくい映画が増えてきてしまうのです。

優秀なキュレイターに支えられた優れた「自主制作映画」もありますが、ほとんどの「自主制作映画」は、そのようなものです。

 

「好きなことしてるんだから、別に良いんじゃね?」というご意見もありますよね。わかります。確かにそうです。でも、好きだから辛いんですよ。嫌いな仕事でこの状況なら、すぐに辞めてますし、好きなことと業界事情はまったく別の問題です。

佐久間さんの記事にもありましたが、ぼくも「小手先」で作品を撮ることが増えました。自分としては「小手先」としか言いようがないくらい、熟成する時間も余裕もない。年に一本、思いを込めた作品を撮れればいいやっと思えてしまうようでは、少し考えなければなりません。