デマに真剣になるほどネット生活に本気になれない。

インターネットの宿命と言うよりはソーシャルネットワークの宿命と言うべきだけど、情報の中にデマやガセは切り離せないですよね
最近だと白人CAの話題や北海道の子ども行方不明情報がガセだとかデマだとかで盛り上がってるみたいだけど、問題の争点は主に二つあって、

1.ガセ情報そのものの問題
2.それを拡散することの問題

で、ネットリテラシーの観点から言えば、情報ソースのハッキリしないものは拡散するなということになるんだけど、ソーシャルユーザーは「良心」と「信頼」に従って確認をせずに情報を拡散してしまう、そのことによって嘘が出回り情報が混乱するという、まあそういう、いわゆる社会問題。

役に立てば嘘情報でも良いじゃん、という考えと、良心によるものだからと言って嘘を大きく広めるのは感心しないという考えと、真っ向から対立するから面倒くさいが、しかしソーシャルとは、元来面倒くさいものなのでそのやり取り自体もまたソーシャルであって、切り離せないわけです。
議論や主張が平行線で、お互いの人格批判にまで発展したとしても、そこで相手をブロックしたり、無視したり、やり返したり、やりこめられたりする、その行為自体がいやならソーシャルは無理なのは明白、じゃあ一体どうしたら良いのかと。

まずガセかどうか確認せよということに関しては、場合によるよねとぼくは思うのね。
ぼくも震災の時はいろんな情報を拡散してたけどソースはできるだけ確認してました。ソースと言っても限界はあって、たどり着けるのが新聞やラジオやテレビだったら、一応裏を取っているだろうという常識を信じて拡散してた。いまでもフィードするニュースは大体が新聞かNHKか、リポートくらいなんだけど、それは事が命に関わるからね。
だけど例えばフォローしてるツイッターアカウントから情報を流すとき、なるべく上流のアカウントをフォローすることを心がけたけど、それが嘘IDかどうかは正直確かめられない。菅直人なんてIDいくつあるんだよって感じだったから。
だから本当はやらないほうがいいんだよね、そういうことは。
だけどあるとき、そういう雑多な情報を俯瞰で眺めると見えてくるものがあるということがわかって、未だに「やまきよ屋」に情報集めてるんだけど、その中には確実にデマやガセや風評もあるんだ。わかってるんだけど、それをデマと判断するか真実と判断するかは受取手の信念や思想にも関わってくるから、苦情は受け付けてるけどぼくは「知らねえよ」ってことにしてるの。
なぜかというと「それがソーシャルってもんでしょ」って。それが見えたんだ。
ソーシャルにおける情報は、受取手の能動的な働きかけですべてが変わってくるよね。
嘘を嘘と見抜く、見抜かない。
嘘から真実を読み取る。
あるいは真実をさらに掘り下げる。
それは、発信者の予想を超えた行為なんだよね。

もちろん、確かに、命に関わる情報は、裏を取った方がいい。上でも書いたけど、ネット情報の裏取りはある程度限界はあるけれどやれるところまではやれる。
でもそれは「ネット情報」の命である「即時性」を欠く場合があるよね。
情報の正確性を求める場合と、そうでない場合があるというのが、上で書いた「場合によるよね」という言葉の意味なんだけど、そういう「こういうスタンスでっせ」というポリシーがハッキリしていれば、ソーシャルにおける情報発信者の責任は果たしているとぼくは考えるんです。つまり、受取手の意識をコントロールできない、とぼくは思っているんです。それはテレビドラマを作ったときにハッキリ感じたんだけど、家で皆さんが見ているテレビの画質や明るさはコントロールできないから、一応業界基準の明るさで作らざるを得ないんだけど、それってぼくの嫌いな明るさなの。演出家として許せない明るさだったりするの。もっと暗いところは暗く! って思っても、できないんだよね普通は。でもぼくはやったの。受取手のことなんか知るかって思ったし、それでいいとわかったんだ。なぜなら、自分の面白いものを提供するのが仕事だから。どうせコントロールできないのにバカみたいに基準に準じる必要はないってことにしたんです。ある意味では傲岸不遜なんだよね。でもそれの何が悪い? って開き直ったんだ。
ソーシャルにおいてもその気持ちは変わらないわけ。まあ、嘘の避難所情報流して信じた読者を死に至らせるなんてことはしたくないからそういうところは気を遣うけど、別にCAの話とかどうでもいいんですよ。人種差別が面倒な問題だって事は誰でも知ってるし、イケナイことだってのは多くの人が理解してるでしょ。ぼく自身は作り話って知ってたし、読めば誰だってそれくらいの読解力あるだろフツーって、おなじみの傲岸不遜な神経で思ってたから、全然気にしてなかったけど、これがデマだとかガセだとかで盛り上がれるってすごい良心的だよね!
ネットのつきあいなんてそんなに真剣になれないから、興味深く見守っております、ということで。

P.S.
ネットで主張が激しい人たちにいつもヒトコト言いたいのは、誤字脱字が多すぎるってことだよ。一個や二個なら忙しかったんだねと思ってあげられるけど(まあそういうことはある)、そういうのが恥ずかしくないならもうぼくはその人たちの意見はまったくなにもかも共感しませんね。