キュレーションメディアとしてのスマフォと映像について

7/28朝にtweetしたメディア論をまとめておく。映像屋としては、以下に出てくるキュレーションアプリでの映像制作、映像企画などで活躍する局面が来ると思う。もちろん今まで通りの映画やテレビ番組、DVDなどのコンテンツも必要だし、その立ち位置は揺るがないが、情報の先端ではなくなるだろう。

 


 

メディアはどうなるのかということをたまに考える。新聞、テレビ、ネットと展開してきて、ハードがスマフォになることは疑いの余地はない。スマフォをメディアとしてとらえた場合、ぼくもこの論に行き着く。

 

キュレーション・ジャーナリズムとは何か http://t.co/ujdBc7W

 

新聞はテレビを馬鹿にしてきたし、テレビはネットを馬鹿にしてきた。だがもはや学生の大半はテレビを観ないし、情報はすべてケータイで取得している。どこで? ケータイを使ったSNSだ。となれば、情報は個人個人で独自に共有され、編纂されるだろう。そういうメディアが来るはずだ。

そんな思いから、たびたびtwitterにニュースを流しまくっている。自分で集めるだけでなく、自動的に話題を蒐集してWEB新聞にしてくれるサービスまで使っている。情報を誰が受け取るかは想定していないし、できない。単純にぼく自身に興味のあるキーワードを共有しているだけだ。

また、ぼくは映像を作る人だから、スマフォで映像をどう活かしていくか、という命題からは逃げられない。配信するだけでは芸がない。配信にコメントがつけば? ということもありニコ動で生放送にも関わっているが、映像を配信するという行為自体が「無」からは始まらないのが現状だ。つまり、どうしても「発信したい何か」が先になければ、映像を配信しようなどとは考えないのが普通だ。

しかし「キューレーター」ということで考えるなら、配信する映像に目的など要らないとも思える。twitterは活字だから、ウェブサイトから記事を拾ってきて共有するが、映像ならテキトーにテレビや動画サイトからキーワードで拾ってきて流すだけでよいのかもしれない(権利関係はさておき)。

そんなものがジャーナリズムか? という疑問も湧くが、夥しい情報量のこの時代、発信者の主張がどんなに特別なモノであろうが、たんなる一つの情報に成り果てるようにも思う。情報をかき集めて貼り付けられた「モザイク」の有り様で、発信者の意図を読み解く——そんなことを考える。

 

ではコンテンツは?

コンテンツも現状、あちこちに分散していて蒐集には能力が必要だ。適切な「キュレーター」によって読みたい本や漫画、観たい映像、聞きたい音楽、遊びたいゲーム、行ってみたい場所、買いたいモノなどの情報がスマフォに集約されれば、テレビで起きたのと同じ革命ではないか? そう、情報番組やテレビ通販のように。ほしい情報がそのとき手に入れば、購買意欲は湧くし、利益も出るだろう。

思い出してみれば、新聞にもそのすべての情報があったし、テレビにもあったのだ。ユーザーは面倒くさがりで忙しいから、自分から情報収集するような者は少数派。新聞もテレビも、それさえ見ればとりあえずいろいろな情報をゲットすることができた、それが大きい。

ネット時代になり、パソコンが普及したが、今のところパソコンは新聞やテレビの代わりにはなり得ていない。ネット動画や電子書籍のようなサービスが生まれては消えるが、その理由は「面倒」に尽きると思う。そもそもパソコンは面倒だ。そこへ行くとケータイはボタンを押すだけだ。スマフォも同じ。

そう考えていくと、一番将来性があるのはAndroidということになるのだろうか。検索システムでは優位のGoogleが、ユーザーの趣味嗜好を登録し、適宜キーワード登録させておくなどし、定期的に情報を集めてきてユーザーに知らせる、ということも可能かもしれない。

OS単位で考えずとも、たとえば情報メディアアプリがあったとして、そのアプリを起動すれば興味のある情報が収集されてきて提供されるということもあるだろう。キーワード登録などせずとも、アプリ開発者が「キュレーター」になって集める情報を選定すればいい。

そこにはビジネスチャンスがありそうだ。数人規模でメディアアプリを作ってネット上の情報源をどんどん取り込んでいけば価値あるものになる。ユーザーによって共有されていけば、情報の優位性があがるからブームも巻き起こる。即時性と共有性を兼ね備えることが必須条件だ。

そのとき、活字も映像も音も画像も、つまりコンテンツだろうが芸術だろうが学術だろうが、すべてが等価値の「情報」になる。ぼくとしては映像屋としてそこにどう絡むかということが大事だが、ポータルサイト的な(Yahoo! などのようなサイトをイメージすればわかりやすい)キュレーションアプリだけではなく、映像配信型、音声配信型のキュレーションアプリなど多様なニーズに応じる形になると思われるので、そこで活躍できるはずだ。スマフォには映像や音声を格納する容量があり、配信するパワーがあり、電話もネットも集約されている。テレビのデジタル放送よりもよっぽどユーザーに密着して双方向性を実現している。だったら映像情報が流入してくるのは時間の問題だろう。

映画なども、そうしたアプリに組み込まれるだろうと考えている。そしてスマフォが情報集約デバイスになって個人情報や課金システムを管理するようになり、スマフォで認証してテレビモニターやパソコン、カーナビなどに映画をダウンロードし、好きなとき、好きなように観られるという形になるはずだ。

しかし映画界はこういうシステムに乗っかるのが苦手だから、組合関係に期待しても何にもならないだろう。いや、なるわけない。未だにyoutubeに最適な動画サイズやエンコードが何か知らないとか、そういう人々が普通にいるわけだから、絶対に期待できない。みんな自分でさっさと開拓すべきだ。じゃないと死ぬ。そもそも現実的に言って、もはや、映画は映画館で観るもの、ではない。もちろん、映画館で観てもいい。だが映画には、映画館に行こうと思えるほどのフックがないのだ。そろそろ認めた方がいい。映画を観ることではなく、映画館に行くことを目的にしなければ駄目だ。プロデューサーのみならず、監督も脚本家も役者も、映画館に人を来させる「何か」をデザインしながら映画制作をしないと、野垂れ死ぬだけなのが目に見えている。たとえば、こういうことだ。

 

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閑話休題、映画をスマフォで観るかどうかは置いておいて、映像は必要になる、これは間違いない。

簡単に言えば、有能なキュレーターを味方につければ、あなたの情報収集力は飛躍的にアップし、同時に情報発信力も強化されるということ。それがみんなが夢中になっているソーシャルメディアの役割であって、スマフォを中心にした次世代メディアの在り方だと思う。

まとめると、映像屋の取るべき道は簡単に二つ。

映画などのコンテンツはキュレーターの検索やキーワードに引っかかるようにしなければ目立たないし、売れなくなる。コンテンツ制作じゃなく映像配信が目的なら、組み込まれるアプリ(今でいうテレビ局や番組のようなモノ)開発の勉強をしなくちゃいけない。

 

 

(どちらにしても、映像規格でまたいろいろと悶着しそうで今から憂鬱だ。)