伝統文化、伝統工芸の後継者を育てるために考えておくべきこと。そして映画の継承について。

一般社団法人「日本伝統文化後継者育成協会」発足のパーティが六本木ヒルズで行われて、全日本刀匠会の理事に誘われて行ってきました。


全日本刀匠会とは、昨年、京都在住の澤田英之助さんによる手切ヤスリ技術の保存映像制作(文化庁)の発注を受けて以来付き合いがありますが、EDO OF THE DEADの卒塔婆剣を日本刀の制作技術で作りたいというオファーを受けていて、そういう繋がりでなにか良い縁があるかなと誘われた次第です。手切ヤスリについてはそれはそれで深いものがあって語りたい部分が多いですがそれは今回はおいておくとして、伝統文化や伝統工芸は、縦割り社会ですから、それぞれの師匠弟子筋の交流はあっても、各文化同士で横の繋がりはあまりない、というところに目を付けて、横断的に交流を図って共同で後継者を育てていこうという趣旨が、この社団法人の存在意義とのことです。


まあ、それら各文化の本物の技術を横断的に評価紹介できるキュレイターの存在が見えないことが欠点と言えば欠点です。また物作りを支える道具職人の後継者も育てなければなりませんが、そこも欠落しています。あまり知られていませんが、日本の職人技が評価されているのは、職人が使う道具を作る職人が優れているという理由もあります。先述の手切ヤスリもそうで、手で打つ以上、この世に一つとして同じヤスリは存在しませんし、使用する目的に応じて微細な修正を加えつつ道具が作られます。そうした技術がほとんど継承されぬまま、経済成長だけを目指して過ぎてきたのが現代日本なわけです。


プロを一人育てると言うことは、そのプロを支えるプロも育てなければならない。そのあたりの詰めは甘いので、細かいことを決めるよりコンセプトだけで突っ走っている印象です。経産省のクールジャパンプロジェクトに乗っかって、安倍政権が好調な内にとりあえず発足させたというのが正直なところかもしれませんが、しかし、どんな形にしろ、伝統文化や工芸品が守られていくことは評価すべきです。


その後刀匠会の面々と長々交流してきましたが、日本刀に対する一般認識や精神教育の普及を行っていかないとどうにもならないように感じました。


ビジネスにして行くには注文を受けて制作して納品するというだけのやり方ではもう難しいでしょう。美術品として、絵画や写真、オブジェと同じようにレンタル展示業務を行ってみるとか、海外からの発注をワンストップで受注できる組織を結成するとか、不動産会社とタイアップして和建築と日本刀家具をセットで販売していくなど、他業種では当たり前に行っている作業をプロデュースしていく人材も必要でしょう。


さて、ここで「日本刀」を「映画」に置き換えたときに、大して違いがないことに気付くべきです。そして日本刀よりも映画の方が、日本オリジナルとしての価値は弱いことにも。


それはつまり、TPPが始まったとして、日本刀が海外に輸出されることはあっても、海外から安い日本刀が流入してくることは絶対にない。日本刀の技術は日本独自のもので、そこが映画と違う。どちらも斜陽で、産業という皮を被ったアートに過ぎないけれども、アートとしての個性は、日本刀に軍配が上がってしまうので、「うーん」と考えこんでしまいました。そして、生活や将来のことなど考えずひたすら良いものを作ることに専念する姿勢、それは現代ではマイノリティだけれども、千年受け継がれてきたものの核はとんでもなくシンプルで、強固なものであると実感しました。


銃刀法の誤解で、日本刀の所持は禁止されているように思われていますが、手に入る日本刀は登録証が必ずあるので、所持していても振り回さなければ問題ないのですが、そういうある種「意図的なバイアス」も是正していく必要がありますね。


包丁は怖くないが日本刀は怖い、という感覚は、要するに美的感覚の欠如です。日本刀の美しさや精神性の認知は、後継者の育成とともに大切な柱になるでしょう。


それはとりもなおさず、教育機関の改革が必要です。しかし教育機関は保身の塊なので、そこをどう突き動かしていくか。そのあたりが、この社団法人や全日本刀匠会の今後の課題になるように思いましたし、とりもなおさず映画業界の課題でもあります。なぜかと言えば、映画は総合芸術なので、映画の見方を知ることは、他分野の芸術への入口だからです。


いま日本の教育機関で映画の見方を教えていますか?ストーリー分析や映画の歴史、技術論などは教えても、美的感覚を養ったり、映画全体を通して突き動かされる感性については、個々人の趣味資質にゆだねられています。


映画好きだと公言するような人々でも、多くは映画の断片しか見ていないでしょう。芸術鑑賞が自分との対話だとするならば、見方を知らないと言うことは精神の幼稚さを表していると言えるでしょう。


ぼくは娘にそうなって欲しくはないし、だからなんとかしたいと思っているのです。ぼく自身、子どもの頃はそんな見方をしていなかったから、感性という点では出遅れてしまったと思っているので、創り手になってようやく見えてきたそうした「真価」を、とにかく一番身近な「未来」に伝える努力はしていきたい、という風に思っています。




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