[考察]内妻の高校生・長女へ強姦に無罪判決「脅迫の供述信用できぬ」

とあるツイートから拾ってきた新聞記事を読んで唸っている。
こちらの記事。

2011.2.22 13:26(産経新聞)

内妻の高校生になる長女を自宅で暴行したとして強姦罪に問われた男性(42)に対する判決公判が22日、神戸地裁で開かれ、奥田哲也裁判長は「脅迫はなかった」として、全面無罪(求刑懲役13年)を言い渡した。

判決理由で、暴行を受けたとされる時期に長女と被告が連れだって買い物に行っていたことや、長女と被告が上半身裸で写っている写真が残されていることから「長女が身体的接触を受け入れているようにも思われる」と指摘。虐待で被告に極度の恐怖心を抱いていたとする長女の供述について「信用できない」と否定した。

男性は逮捕時から容疑を否認。弁護側は性的行為自体は認めた上で「犯行時に脅迫はなく、強姦罪は成立しない」と無罪を主張していた。

男性の弁護人は「倫理的に非難に値するが、検察の捜査が不十分で、強姦罪での起訴が不当だった」と話した。

さて、性被害については、慎重に慎重を重ねて捜査をしなければならないと、個人的には思っている。

多くの意見として尊重しなければならないのは、性被害において「抵抗」はなんの救いにもならないということである。それを知っている多くの被害者は「抵抗」するよりむしろ「過ぎ去るのを待つ」ようになる。実際、「抵抗」に対して、より興奮を覚える加害者は少なくないし、「抵抗」を押さえつけて服従させることが「強姦の意義」となることもある。また「抵抗」によってさらに酷い仕打ちを受ける可能性を考えることは、被暴力サイドの人間にとって、考えて然るべきことだ。そうした「実態」を踏まえて考えてみると、無罪の理由となった「写真から想像できる受け入れ」や「買い物」の事実は、脅迫や恐怖の否定にはならない。

また、虐待や暴力の不可思議かつ重要な側面として、「非道のあとの優しさ」がある。多くのDV事例や児童虐待事例にもあるように、加害者は被害者に非道を行う一方で異常な優しさを見せることがある。それがまた逆説的に「怖い」のだし、「優しさを拒否するだけの余裕」がない。したがって、写真のような事実や買い物の事実から「恐怖心を信用できない」とするのは、早計と言えるだろう。

この点においては、裁判官が批判される理由になると思うし、同時にこうした写真の有無、買い物の事実をキチンと捜査時に考慮せず起訴した検察にも落ち度があるように思う。勿論、長女に対する性行為というのは、一般的に言ってその事実だけで「虐待」の意味合いが強いし、心の傷を考えれば早急に、という思いもあったのかも知れないが、慎重さを欠いたのは決定的なミスだった。

と、ここまで考えてみて、ぼくは唸った。なぜ、これが「無罪」になるのだろうか?

一般的に考えてみれば、いくらこのような「身体的接触を受け入れているような」写真があったとしても、内妻の長女と度重なる性行為を持ったという時点で、この男性が無罪になることはあり得ない、という向きになると思う。だが、無罪判決が出た。裁判官はバカか? そうであると言い切って奥田裁判官を悪者にすれば事は簡単だが、ぼくはそういう性分ではないのである。無罪と言い放つ勇気(と言うべきかわからないが)を支えたのはどのような信念なのか? 人の心を扱う創作者として、その点が非常に考えさせられたのである。特に(ぼく個人としては、まったく無罪ということはあり得ないという考えでいるが)弁護人の「捜査が不十分であった」という談話が非常に気になった。つまり現時点においては、長女と男性、この二人の関係性は何もわからない。二人の供述の相違に関して、

 

  • 男性は脅迫を否定
  • 長女は脅迫を受けたと供述

 

パワーバランス的に男性の供述が疑わしいように思えるが、疑わしきは罰せずなので、脅迫の事実がどれだけ信憑性があるのか検察が証明するために、ここで出てこなければならないのは内妻の主張の筈である。しかし記事には内妻の存在はあるものの、証言として「脅迫の事実」を支えた痕跡はない。そこで想像される事態としては、内妻-長女-男性の家庭内不和であったり、家族環境の複雑さである。仮にもし、

 

  • 長女と内妻の関係が悪かった

 

としたら、長女が男性の庇護を得るためになんらかのアクションを起こした可能性も、否定できなくなる。その結果男性が一線を越えて性行為に発展したものの、その後男性と長女の間にも不和が起こり、長女は自分の精神を守るため男性に脅迫されたと偽って訴訟を起こした──そういう筋書きも、現段階では邪推できるのである。そして不幸なことにこの筋書きなら供述の不一致にも納得のいく解釈が成り立つし、無罪とした理由も、まだわかるのである。
検察の捜査がこの点において充分になされており、男性の圧倒性を証明していれば、無罪ということにはならなかったのではないか。弁護人は「強姦での起訴が不当だった」と述べているが、こうした点を考慮しなければならないような、複雑な事件だったのではないか。

 

勿論、この仮定の話が事実であったとしても──つまり「強姦」ではなかったにせよ、これが「虐待」ではないかというとそうではないと思うし、こういうことを引き起こした家庭環境自体が「虐待」であったとぼくは思うし、そう思うと、唸ってしまうのである。

 

ネットでわかる範囲で調べてみると、奥田裁判官は、比較的、被告に甘い判決を出す方のようではあるが、今回の判決が不当であるか妥当であるかは、まだぼくの中では決定的な判断ができないでいる。非難を集めると思うし、性被害に遭ったこともあるぼく自身は、非難する人々に共感する部分もある。だが一方で、十代女性が中年男性をたらし込み裏切るという事例もないとは言いきれないのである。気分としては加害者に唾を吐きかけたいが、理性がいらぬ想像をさせるのである。だからこそ、慎重に慎重を重ねて捜査をしなければならないと、ぼくは言うのである。