8/23早朝のtweetまとめ。主に創作における覚悟と責任について。そして未来について。

ちょっと思うところあって「現代アート」関連のツイートを探っていたんだけれども、いわゆる「二次創作」って映画やアニメで言うところの「原作付きの作品」と形は似ているよね。違いは無許諾(暗黙)ってこと。理由はアマチュアだから? けどアマチュアでも許可とれば? と思うわけで、なんだろね?

まあ実写界でもじわじわくるなんとかで問題になったアレがありますし、要はやったもん勝ちってのがビジネスなんですけどね。ただ、ぼくも「盗作」関係ではデビュー前にとある大監督様を批判して未だに和解していないので若かったなあとは思いつつも、誰かが気分を悪くする「二次創作」はキモいですね。

あとぼくはよく原作通りに脚本を作らないので(特に漫画やライトノベル原作の場合)「レイプ」まがいのことも言われますが、同人活動で無許可で二次創作している人たちには言われたくないなあと思ったりもしますよ。単なる原作ファンにはなにを言われても仕方ないけども。耳は貸しませんが。

なぜなら、こちらは仕事で、作品は未来にも残るので責任があるわけですから、その辺のファンよりは確実に原作を読み込んで理解して再構築する素養と自信があるのです(なければやらない)。それがリスペクトの意味。それに加えてのクレジット、権利表記や金銭の授受によってこの商売は成り立つ。

「現代アート」の世界の常識は知りませんが、いくら二次創作物だと言ってもそれをコラージュするのにルールがないなんて、ずいぶん楽だなと思っちゃいますね。楽なものを大発表するからその手法が叩かれるんだよね。手法が正しければ作品が叩かれるはずだから。

まあ、そもそも、作品が圧倒的なら、手法も倫理も全て関係なくなると思うんだよね。作品に罪はないんだから、その手法を選ぶんなら、覚悟決めて、ぐうの音も出ない美を生み出すしかないんだよ。音楽のリミックスと同じように、コラージュが無価値だとは思わないが、停滞は許されないね。

立ち止まっているうちは無風に近い。歩けば風が頬に当たる。走ればその風が強くなる。そこで立ち止まらなければ、いつか追い風が来るときもある。世の中も同じだ……ってことを子どもの時によく聞かされたものです。作家の生き方ってそういうことだと思うが、意外とわかんない奴が多いんだよな。

いま、世の中は(自分も含めて)すごいスピードで動いているから、吹いている風もものすごいわけで、その風に対して真正面で受けるか、振り返って背後で受けるか、それによって今後の生きる道が変わってくるんだよね、当たり前だけど。芸術家の根底にそういう大局的な面がなければ信用できないな。

個人的には今、この日本で芸術や文化や娯楽を生業にする意味を考えないことはあり得ない。第二次大戦の時分の映画監督たちを今ぼくはどういう目で見るか? 安保闘争や阪神淡路大震災の頃は? では、100年後の子孫がこの時代の映画監督をどう見るだろうか? ビジョンは商売の基本だが創作も然り。

ぼくたちが死んでも作品は残る。擁護できる作者がいなくなった後に「あの作品、パクりなんだよね」って言われたら泣くに泣けませんよ。完全なるオリジナルはもうないのかもしれないが(なにがしか主張するツールをもっているにも関わらず)創作の流儀やテーマを語れないなら危ない橋は渡りなさんな。

君子危うきに近寄らず。ぼくの好きな言葉。とはいえ好戦的なので、かなり喧嘩もしてしまっているぼくの過去は、恥ずかしいトラウマでもあります。アンチでいなければという信念、一方では本当に危険なものには近づきたくない小賢しさ。そういったものに挟まれながらぼくは明日も創作します。